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呉の「眼鏡橋」ってご存知ですか?
呉鎮守府と一般市民とを結んだこの橋。これが近代呉海軍への架け橋であった。 現在では 人知れず 地下に眠れる 素晴らしい橋・・・「眼鏡橋」をご紹介します。
情報提供者 亀迫重信
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このアーチ型の写真(眼鏡橋)は大正初期の観光葉書で姿を知り得る 唯一の物です。
今から130年前に造られました。
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130年程の昔の事になりますが、帝国海軍の根拠地「呉」の陸の玄関口であり、帝国海軍と一般市民との交差点であった「眼鏡橋」
この橋を渡り海軍第一門を通り抜けると 海軍鎮守府と軍法会議、海兵団、造船部、海軍病院(現国立病院)等施設が並ぶ軍事中枢地区でありました。
北部 灰が峰側は、それを支える商業地、市街地、住宅地に分かれていた。その為海軍や海軍工廠への納入業者、海軍御用商人と称される者たちが全国、海外からも参入。会社、事務所として眼鏡橋付近に軒を連ね、その数は「千社を超えた」とも言われています。
そしてアニメ映画 「この世界の片隅に」にも、在りし日の「眼鏡橋」付近が登場しています。
まさに ここは歴史文化、軍需産業の発展の原点であり 基点、ランドマークともいえます。
さて、今では多くの方が “JR呉線の高架橋”が眼鏡橋だ と認識されていますが、それは大いなる誤認なのです。
実は 本当の眼鏡橋は、その地下に在り現在では見ることができないのです。
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眼鏡橋のはなし