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QUEcrepe

現在の姿を知る

現在の眼鏡橋現地調査

2008年9月3日 埋蔵建築物専門家 松下 宏 地元自治会 水落、亀迫

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調査は清水川の下流、眼鏡橋西出口から上流に向う左端ハシゴより3.5m清水川に降りると14m奥に眼鏡橋の西側出口が見える

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川下は200m余り呉線に沿い、堺川に至る

ブルーの鋼材の地上はホンダ自動車販社駐車場となっている

左の石崖は昭和7、8年頃 三呉線(呉から三原)鉄道敷設の為に埋め立てられた

右側はコンクリートで埋められている

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調査時水深30cm位であったが、堆積土は建造当初の頃から110cm以上は堆積している
入口頭上の管は相当古く現在使用されていない様子

大正元年建造の送水管と考えられる

頭上の大きなパイプは工業用水管

内部には2000年、2007年に設置された物があるが何れも設置後の処置がすこぶる粗雑で修復出来るのか?

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南側中央部に流入口 枝坑道が見つかった直径82cm 枝坑道と思われるが頭頂部から210cmの位置に、内部は土砂に埋まり、水面下、内部は不明約30cmを残し水面下にある石組み施工がしてあり、当初から枝坑道は存在していたと思われる

アーチ部分の事を「穹窿」(きゅうりゅう)と呼ばれ、堰堤の完成後に「穹窿」は築かれた事が資料より判明した

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第一門方面から流入しているが源流は何処かも不明であるが、鎮守府・又は海軍病院方面を経由していると考えられる

堰堤と同時期に構築されたとすると広大な規模の工事であった

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掘り込み 入口縁石に深さ3cm 横5cm 縦3cmの掘り込みが左右対称に、又、3下段も同様に掘り込まれている(左右対称に存在)これは厚板を渡し、板をはめ込む臍穴(ほぞあな)で、板で堰(せき)を作り、砂の流入を調節したと推察する

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現存する部分はこの部分のみで要壁は左側、右側共に昭和の初め 左側は集会所の拡張の為、右側は鉄道敷設の為に石垣で覆われ、川の部分のみを残して暗渠となり・・・現在に至る
 

入口から2m中央天井に鉄製の大きな鍵フックが取り付けてある

これに滑車等を付け溜まった砂を砂舟に積み込み外に出す

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